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歌舞伎狂言の『小袖曽我薊色縫(こそでそがあざみのいろぬい)』は通称『十六夜清心(いざよいせいしん)』と呼ばれています。話の筋は複雑ですが、画題になっている「鬼あざみ清吉」は、もと極楽寺の僧の清心で、遊女十六夜と心中して稲瀬川に投身しますが死にきれず、悪に染まって盗賊鬼あざみ清吉となります。
絵の中で蕎麦を食べている清吉は四代目市川小団次、蕎麦屋は三代目坂東又太郎で、安政6年(1854)に江戸市村座で上演されたものです。
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蕎麦屋は屋台(屋体・屋躰)の夜蕎麦売りで、屋台店の始まりは安永(1772-81)の初期といわれています。屋台店は簡単な屋根・柱つきの台で、立ち売りをする移動可能な小さな店です。『守貞謾稿』(1853)は、二更(にごう)以降、五更までの夜のみ市街を巡る生業の一つとして蕎麦屋をあげています。更とは1夜を5分した時刻の名称で、初更から五更まであり、初更は現在の時刻で午後7時から9時というように2時間ずつに区切り、五更は午前3時から5時にあたります。
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夜蕎麦売りは江戸では夜鷹(よたか)蕎麦と呼ばれていましたが、その理由として、夜鷹と呼ばれた街娼がよく利用したから、また鷹匠(鷹狩りの鷹を飼う人)が冬に冷えた拳を暖めるためのお鷹蕎麦が転化したものともいわれています。また江戸の夜蕎麦売りの屋台には、必ず一つ風鈴(ふうりん)を釣っていたそうで、絵の屋台にも蕎麦屋の頭の上に風鈴が見えます。
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蕎麦屋の看板の「二八」については、材料の蕎麦粉と小麦粉の割合説と、蕎麦1杯の値段が二八で16文とする説があり、価格説の方が有力です。また二八蕎麦が出現した頃は、蕎麦1杯は8文か9文くらいで、2杯で18文を二八と呼んだという新説もあり、価格説も時代によって変わるようです。
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