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この絵には「外国人料理之図」とありますが、川崎・砂子の里資料館の収蔵品には「異人屋敷料理之図」の題で同じ絵があります。絵師の一川芳員(よしかず)は歌川国芳の門人で、美人画や武者絵を描いていましたが、万延元年(1860)、文久元年(1861)には横浜絵を多く描いています。
横浜絵は幕末の開港地横浜の風景や外国人の風俗などを描いた版画で、当時の人々の異国人への好奇心に対応して、江戸の浮世絵師によって850種も制作されたといいます。しかし開港当初は役人や貿易商などのほかは、一般の日本人は居留地に入ることが出来なかったので、絵師たちは外国の写真や絵を見たり、想像によって描くことも多かったようです。
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絵には西洋人2人と中国人2人がいて、後姿の中国人は弁髪(べんぱつ)で、ストーブの前の中国人は弁髪を頭上にまとめています。場所は異人屋敷の厨房で、手前の西洋人は調理台で包丁で肉を切り、その向うの西洋人は籠から肉片らしいものを取り出しています。右上の棚には調味料の器が並べてあり、右下には水の入った桶が見えます。ストーブには鍋がかけられて煮物をしているようです。居留地には外国人用の牛肉店やパン屋もあり西洋料理が作られていましたが、一般の日本には西洋料理は馴染みのないものでした。
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慶応3年(1867)に、福沢諭吉は片山淳之助の名で『西洋衣食住』を出版し、西洋の生活習慣を紹介していますが次のような記述もあります。「西洋人は箸を用いず 肉類其外の品々大切に切りて平皿に盛り銘々の前に並べたるを 右の手に包丁を以てこれを小さく切り 左の手の肉刺に突掛て食するなり 包丁の先に物を載せて直に口へ入るるは甚不行儀のこととせり 汁ものも矢張平皿に入れ匙にて吸うなり 汁もの其外茶を飲むにも口に音をさすることも不行儀とす」
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