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上の絵は『京人形』の舞台で、甚五郎が初代中村福助(のちの四代目中村芝翫)、おやま人形は四代目尾上菊五郎ですが、この配役による『京人形』の上演はなかったそうです。
私の観た『京人形』は、平成17年8月の歌舞伎座で、橋之助丈の甚五郎、京人形の精は扇雀丈でした。
その時の筋書の解説で、『京人形』のあらすじをまとめると、「左甚五郎は廓で太夫を見そめ、太夫に生き写しの人形を彫り上げた。その人形を相手に1人で酒盛りをしていると、不思議なことに人形が箱から出てくるので驚くが、心をこめて彫ったので、人形に魂が入ったことがわかる。人形の動きは甚五郎と同じ男の仕草で、しまっておいた太夫が落とした鏡を人形の懐に入れると、太夫の仕草をするようになる」というもので、このあと立廻りなども加わりますが、『京人形』は人形に魂が入るところが見せ場です。
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彫った人形に魂が入ったといわれる程、名人として有名な左甚五郎は『国史大辞典』にも記載されていますが、冒頭に「生没年不詳、建築彫刻の名人として江戸時代に理想化された人物像」とあります。そして左甚五郎にかかわる記述や伝説は多いが信頼できるものがなく、飛騨(ひだ)には名工が多いところから『嬉遊笑覧(きゆうしょうらん)』(1830)にある「飛騨の甚五郎と称されたるを、のちに左と誤りとなへしも知るべからず」というのが真相に近いのではないかとしています。
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絵の中央の折敷(おしき)の上には、刺身の皿と煮物らしい深鉢が見えます。刺身は赤身のようですから鮪でしょうか。鮪は脂肪が多く江戸時代人には嫌われて下魚とされ、江戸後期から赤身が食べられるようになりました。脂肪の多いトロは捨てられたといいますが、現在ではトロが高価です。嗜好の転換はいつ頃からか、目下の課題になっています。
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