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絵の題は「諸商人市(いち)の賑ひ」とあり、「諸々(もろもろ)の商なふ品の売買はさて勇ましき市の賑ひ」と書かれています。この2枚1組の絵は「当世風行大団子」「当世ごまのお萩」などほかにもあって、風刺画シリーズとされています。明治期の出版で改印、絵師、出版元の記載もありません。絵の中の商人たちが、皆嘆いているような顔をしているのは、当時の世相を表現しているのでしょうか。
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慶応4年(1868)が明治元年と改元された時「上からは明治だなどといふけれど治明(おさまるめい)と下からは読む」という狂歌があったそうで明るい一方の変革ではなかったようです。それまでの顧客であった士族の没落で、商人は暮らしに困り、日雇い稼ぎの人たちは仕事を失う状態だったようです。旧幕臣の士族も職を失い、東京の市中には没落士族の団子屋が増え、汁粉屋、天ぷら屋、茶漬屋などの食べ物商売を始める人も多かったといいます。
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上の絵の中で商売のわかるものは、右上から米俵を担いだ米屋、正宗の酒樽の傍の酒屋、本場蜜柑の箱を前にした蜜柑売り、中央の植木鉢を持つ植木売り、大根売り、反物を担いだり抱えたりした呉服売り、その左の牡丹餅屋、その前の鰹節屋と極上伊勢ひじき売り、手前の虫籠は虫売りでしょうか。判断しにくい商売の人もいますが、食べ物の商人が多いようです。
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また、明治になっても欧風化とは無縁の庶民の食生活は江戸時代と変わらず、明治17年刊の見立番付『おかづのはや見』では、精進物は1位から、八杯豆腐・うの花炒り・葱の油揚のから汁・小松菜の浸し物・油揚の付焼。生ぐさ物は1位から目ざし鰯・しじみ汁・鰯塩焼・あさり豆腐・塩引鮭でした。
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