日本橋浮世小路の料理屋百川が出来たのは明和・安永(1764-81)の頃といわれています。天明(1781-87)の頃には名の知られた卓袱料理屋となり、文化・文政(1804-30)頃には高級店として繁盛しました。上の絵は文政期の百川で、左端の女性が運ぶ料理も大皿盛りで卓袱料理の特色を示しています。卓袱料理は普通4人で卓袱台1脚をかこみ、料理は小菜8品、大菜12品というように偶数で供します。一つの器から各自で小皿に取り分けて食べる食べ方が珍しがられたらしく、料理は豚肉などは使わない日本風の料理でした。
嘉永年間の百川の1人分の食事代金は、上が200疋、中が150疋、下が100疋だったそうで、100疋は1,000文、現在の金額でおよそ10,000円に相当します。
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