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小金井堤は、東京都小金井市の玉川上水沿いの堤で、現在は堤に沿って小金井公園があり、桜の季節には花見客で賑わう所です。
小金井の地名の由来としては、水に乏しい武蔵野台地の中で、水が僅かに湧き出る泉があり、これを小金井とよんだことによるといわれています。承応3年(1654)に小金井村の北境を流れる玉川上水が開削され、江戸市中へ上水(飲料水)を供給し、水に乏しい武蔵野地域の生活用水、農業用水ともなりました。
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『江戸名所花暦』(1826)には、江戸の桜の名所の一つ小金井堤について次のように書いています。「玉川上水の堤。この桜は元文(1736-41)年間、合命によって和州(大和国)吉野山および常州(常陸国)桜川の種を栽(う)えさせられけるが、いまはいづれも大樹となりて、開花のとき金橋(こがねばし)の上よりこれを望めば、岸を挟む桜、繽粉(ひんぷん)として前後尽くるところをしらず、実に一奇観たり。」
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絵では右下の桜の木の下で、腰かけて休む人が2人いて茶店のようです。茶店(茶見世)は、往来する人の休息所で水茶屋ともいい、店の人の住居は別にあるので出茶屋ともよばれ、京坂では掛茶屋とよびました。『守貞謾稿』(1853)には、江戸で水茶屋の多いところとして「浅草寺境内・湯島天神社頭・神田明神社頭・芝明神社頭・回向院(えこういん)境内・亀戸社頭・両国橋西・新大橋東西。浅草寺以下のものは、柿(こけら)屋根にて四季これあり。春は向島辺、飛島山、平日は稀にこれあり。花の頃ははなはだ多く、皆葭簀張(よしずばり)なり。」とあります。
『江戸名所花暦』には小金井橋のたもとに、かしは屋勘兵衛といふ酒店があり、食事などを頼むとすぐ用意してくれるとありますから、江戸から七里半もある小金井も、文政の頃には賑やかな行楽地だったようです。
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