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のどかな春の景色に「東都第一角田川(すみだがわ)の白魚」とありますから、隅田川に浮かぶのは白魚漁の舟でしょうか。川の手前の堤には桜が咲き、左下には子供が2人遊んでいて、傍に紐でつり下げた小亀が見えます。つるされた亀で連想されるのは、歌川広重の「名所江戸百景」の一つ「深川万年橋」です。季節は違いますが亀のほか、隅田川越しに富士山を遠望する構図もよく似ています。
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白魚は早春に海から川に上り、河口近くの汽水域(海水と淡水の混ざっているところ)で産卵し、孵化した稚魚は海に下って沿岸域で生長し、早春に産卵のため川に上ります。産卵のため遡上してくるところを四手網などでとるのが白魚漁でした。
今では隅田川で白魚を見ることはできませんが、江戸時代には江戸名物になるほど沢山とれ、明治の中頃まではとれていたそうです。
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江戸後期に江戸名物とされた魚貝類には次のようなものがありました。
浅草川(隅田川)の紫鯉、江戸前鰈、多摩川の鮎、佃島の白魚、浅草川の白魚、江戸前うなぎ、千住の鮒、宮戸川のうなぎ、鉄砲洲のはぜ、芝のえび、浅草川の手長えび、業平の蜆(しじみ)、尾久の蜆、深川の蛤、深川のかきなどです。
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『魚鑑(うおかがみ)』(1831)の「しらうを」の項に「備前平江(ひらえ)、伊勢桑名に多し。武蔵角田川および中川のものも桑名の種といへども、水美なれば魚もまた美なり。諺にいふ、氏よりそだちなるべし」とあり、白魚を好んだ家康が、桑名の白魚を隅田川に放したともいわれています。白魚は徳川家とゆかりがあり、白魚の頭には徳川家の葵の紋がついているという俗説があったのは、魚体が透明なので脳髄が透き通って葵の紋のように見えたためのようです。
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