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絵には「五十三次の内 品川」とあり、中央の人物は「李下斎紀文実は由良之助」とありますから、品川宿での忠臣蔵の芝居のようですが役者名もわからず、国立劇場の石橋先生に教えていただきました。
この芝居は嘉永3年(1850)5月1日から市村座で上演された『忠臣蔵五十三紀(つぎ)』で、右の肴屋吉五郎は3代目関三十郎、平右衛門女房お北は4代目尾上梅幸(のちの4代目菊五郎)。中央の由良之助は5代目沢村長十郎(5代目宗十郎の後名)。左の八百屋五郎兵衛は3代目嵐吉三郎と判定されます。
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役者は似顔から判定し、中央の5代目宗十郎は波打った唇と眉と目の間の窪みの特徴からわかり、また由良之助は沢村の家の芸です。左の嵐吉三郎は唇の両端が上下に開いているような特徴から、また半纏(はんてん)に嵐吉の文字があります。右端の3代目関三十郎は高い鼻、しゃくれた長いあご、頬や口の下の皺(しわ)などからわかります。女房お北は顔からは特定できず、上演の時期や出演者名を年表で調べ、菊の柄の着物を着ていることもあって、梅幸と判定しました。なお錦絵の改印は嘉永3年4月で、芝居の上演は5月1日からなので絵は上演の前に描かれたもので、実際の芝居と違ったところもあります。
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右端の肴屋吉五郎の前の俎(まないた)の上の魚はフグのようで、冬はフグの季節です。江戸時代もフグの名産地としては長門の国の下関が知られており、品川宿でなぜフグなのでしょうか。調べてみると『本朝食鑑』(1697)のふぐの項に「1尺以上もある大きいものが芝浜・品川でとれて品川ふぐというが、味がよくないので食べない」とありましたが・・・。
フグ科の魚は種類が多く、現在日本近海で約50種といわれ、トラフグなどは超高級品ですが、江戸時代にはフグで中毒死する人が多いので下魚とされ、安いので庶民の魚でした。
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