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名所江戸百景 びくにはし雪中
歌川広重(二代目)
画 安政5年(1858) 味の素食の文化センター所蔵
 上の絵には「山くじら」の看板が大きく描かれていて、江戸時代の肉食に関連した錦絵としてよく知られています。安政5年(1858)10月の改印があり、初代広重はこの年の9月に没しているので、二代広重によるものとされています。しかし版画には彫りや摺りの日数がかかることもあり、素人の私は初代広重の「名所江戸百景」の1枚として見たい気がします。
 比丘尼橋(びくにばし)は、現在の銀座1丁目辺にあって、外堀と京橋川の接点に架かる橋でした。絵では橋の手前が北紺屋町で、荷を担いだ行商人が南紺屋町の方へ渡ろうとしています。絵の右側が外堀で石垣があり、正面に遠く見える火見櫓のあたりに数寄屋橋御門(現在の数寄屋橋交差点)がありました。
 右側の犬のいる店は焼芋屋で「○やき」は丸焼、「十三里」は栗(九里)より(四里)うまい十三里と、さつま芋のおいしさを宣伝しています。

 山くじら(山鯨)は、猪肉または一般に獣肉の異称で、獣肉を売る店を「ももんじ屋」といいました。最も有名なももんじ屋は糀(麹)町平河町の甲州屋で、上の絵の山くじらの看板があるのは尾張屋で、幕末には江戸には十数軒のももんじ屋があったといいます。
 江戸時代には獣肉食は忌避されていましたが、実際にはかなり行われていたらしく、本草書や料理書に記載された食用獣類は、記載の多い順に、シカ・イノシシ・ウサギ・ウシ・タヌキ・イヌその他10種類もあります。

 『江戸繁昌記』(1832)の「山鯨」の項にはももんじ屋の盛況が書かれていますが、店の料理は獣肉に葱を加えて煮る鍋物が主で、鹿鍋は紅葉鍋、猪鍋は牡丹鍋と呼ばれていました。なお、『本朝食鑑』(1697)には、獣肉の中で最も美味なのは牛肉とあります。
 監修・著 松下幸子千葉大学名誉教授
>>松下教授プロフィール
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