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十二月の内 弥生 雛祭
歌川豊国(三代目)画 嘉永7年(1854) 国立国会図書館所蔵
 上の絵の雛祭は、人物の服装などから見て上級武家の屋敷のように思われます。左手には大きな雛壇の一部が見え、右側の雛の道具も立派なものです。
 『調味料理栞』の中の「慶応二年御献立帳」は、或る大名の江戸屋敷での1年間の献立の記録で、雛祭の献立も見ることができます。或る大名とは、宮腰松子氏の研究によると、三河半原藩主二万二百五十石の阿部摂津守信発
(のぶおき)とされています。
 幕末の慶応2年(1866)の記録ですが、大名の日常食、行事食を知ることができる貴重な史料です。食事は1日3回で、節句などの行事の日はご馳走ですが、日常食は現代の私たちから見ると至って質素です。
 3月3日の、朝・昼・夜のうち御祝膳とある昼の献立を次に紹介しましょう。
   汁(半ぺん・よめな)、飯
   平
(ひら)(さより・竹輪麩・みつば)、
   猪口(いり玉子)、焼物(いさき)、

   香の物(みそ漬大根)

 次に「雛へ」とある献立は
   汁(半ぺん・よめな)、飯、

   鱠(赤貝・うど・みしまのり)、

   平(蒲鉾・しいたけ・長芋)、

   猪口(いり玉子)、香の物(たくわん)
   二の膳

   汁(短冊玉子・ふき)

   坪
(つぼ)(うすくずしめ豆腐・ぎんなん)
   焼物(若さぎ)
 このほか三重の重詰が4種類あります。
 以上のように殿様の祝膳は一汁三菜で、雛への料理は二汁五菜と重詰4種です。3月4日の殿様の献立は、飯のほかは、朝は汁(わかめ)と猪口(こんにゃく)、昼は皿(うど・せん玉子)、夜は皿(いかと竹の子の木の芽和え)と、日常食は質素なものでした。
 監修・著 松下幸子千葉大学名誉教授
>>松下教授プロフィール
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