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花山宿霞の弾始(はなのやまかすみのひきぞめ)
歌川豊国(三代目)画 安政3年(1856) 国立国会図書館所蔵
 絵の中央の台の物にはいろいろの料理が見え、右手の火鉢では鍋料理を始めるところ、手紙を読んだり盃を手にしたり、遊女たちがくつろぐ光景のようです。手前には桜の花が見えますが、新吉原では毎年3月1日から仲の町通りに桜の木を植え、花が終わると抜き去るのが恒例でした。絵の題には弾きぞめとあり、桜の季節との関係がわかりませんので、牽強付会(けんきょうふかい)ですが、吉原名物の一つ甘露梅(かんろばい)をとり上げることにしました。
 『守貞謾稿』(1853)巻の22には吉原名物として、袖の梅(丸薬)、巻煎餅、吉原細見(案内書)、甘露梅、つるべそば、最中の月、豆腐の7品をあげています。甘露梅については「甘露梅、山口屋某にてこれを売る。けだし仲の町茶屋どもは自家にこれを製す」とあり、「柔核の小梅に一顆(か)ごとに紫蘇葉に包み製す」と説明しています。
 『料理早指南』二篇(1801)の花見重詰の中には甘露梅があり、四篇(1804)にその作り方があります。「青小梅塩につけおき、つけたる時出して打わり種をとりすて、そのあとへ朝倉山椒或は粒胡椒などを入、馴たる梅を合はせて紫蘇の葉にて包み、砂糖蜜に酒を加へてつけるなり。夏より冬まで目張して置べし」
 歌舞伎座厨房では先頃『料理早指南』の花見重詰を再現し、甘露梅も作りました。季節的制約もあって忠実な再現はできませんでしたが、刺激的な甘酸っぱい味のおいしさに驚きました。本稿で甘露梅をとり上げたのはそのためです。
 現在も甘露梅という名の和菓子が、山形や小田原にあるそうですが、練りあんを求肥で包み、梅酢漬の赤紫蘇の葉で包んだもので、江戸時代の甘露梅が甘い和菓子に姿を変えたものと思われます。
 監修・著 松下幸子千葉大学名誉教授
>>松下教授プロフィール
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