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1月も半ばを過ぎましたが、旧暦の1月1日は今年は2月7日なので、おそいようですが正月の絵をとり上げました。絵の中の膳の上の長熨斗(ながのし)、羽子板、紙鳶(たこ)は、江戸の正月の景物でした。
長熨斗は、正月の客に出す喰積(くいつみ)の代わりに飾るものと『守貞謾稿』(1853)にあります。喰積についてはNO.76で説明しました。
長熨斗は熨斗あわびの長いもので、吉事の印に用いられました。
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当時の正月の遊びは、男の子は紙鳶あげ、女の子は羽根つきでした。男の子が早春に紙鳶を空高くあげて口を開くと、内にこもった熱を発散して病気にならない。また女の子の羽根つきは、初秋に蚊を食うとんぼと羽根の形が似ているので、羽根つきは蚊を恐れさせる効果があると『守貞謾稿』にあります。蚊への効果は疑問ですが、戸外での遊びが健康によいのは現在も同じです。 |
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幕末の江戸の風俗を記した『絵本江戸風俗往来』(東洋文庫に復刻本)には、江戸の庶民の正月の食べ物の事も書かれています。雑煮については「雑煮は餅に添えて小松菜・大根・里芋を通常とす。つゆは味噌汁を用ゆる所もあり。餅も焼きて用ゆるあり、湯に煮て使うあり」とあり、「重詰の品は田作(ごまめ)・数の子・座禅豆(黒豆)の三種なり。しかし家々の式により一定せざれども、この三種通常用ゆる所なりとす」とあります。 |
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文政年間(1823ごろ)の将軍家斉の食事記録が『調理叢書』として国立国会図書館にありますが、その中から正月の雑煮を探してみると、「御臓煮 もち・里芋・長菜・青昆布・花かつほ」とあります。将軍の正月料理ですから、儀礼的なものから実際に召し上がる二汁七菜の本膳料理も豪華なものですが、伝統的な雑煮は意外に質素なものでした。 |
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