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スズキは古代から美味な魚として知られており、江戸時代にはタイにつぐ上魚でした。『魚鑑』(1831)には、スズキを「その肉は即玉鱠にして、夏月の珍、これに過るものなし」とあります。25センチぐらいのものをセイゴ、50センチぐらいのものをフッコ、60センチ以上をスズキと呼び、成育年齢で名が変わる出世魚の一つです。
晋の張翰(ちょうかん)が、故郷の蓴菜(じゅんさい)の羹(あつもの)と、鱸魚(ろぎょ)の鱠が食べたくなったと官を辞して帰郷したという中国の故事で知られる鱸魚は、スズキではなくハゼに似たヤマノカミという淡水魚だそうです。
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『料理物語』(1643)には、スズキの料理として「さしみ 汁 やきても なます」とあり、スズキの指身(さしみ)には「青酢 生姜酢にてよし」とあります。青酢は摺った青菜で緑色に着色した酢です。醤油が一般に使われるようになるのは江戸中期以後のことで、それまでは刺身にも調味酢や煎酒(いりざけ)が使われていました。 |
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スズキの向こうには穂のついたシソが見えます。シソの種実は各地の縄文遺跡から出土していて、古くから香味野菜として用いられていました。シソは、芽・花・葉・穂・実など各部分が利用され、葉茎が緑の青ジソ、紫色の赤ジソなどの品種があります。『本朝食鑑』(1697)には、シソの葉は魚肉の毒を去るとあり、刺身のつまにも使われています。
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手前の魚は、錦絵の目録にはキンメダイとあります。キンメダイは鯛ではない鯛でキンメダイ科の魚です。『本朝食鑑』にも『和漢三才図会』(1712)にもなく、江戸時代の料理書にもありません。いろいろ調べた結果、深海魚なので漁業の対象とならず、江戸時代の人は食べていなかったようです。なぜ広重はキンメダイを描いたのでしょうか。
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