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東海道五十三次之内 日本橋之図
香蝶楼国貞(三代目歌
川豊国) 国立国会図書館所蔵
 橋の向うに遠く富士山を望む日本橋北詰には、晴着姿の女性のほか、魚売りの棒手振(ぼてふり)や荷物を担ぐ商人がおり、橋の上には山積みの荷をのせた荷車も見えますから、正月も初荷の2日でしょうか。
 空には紙鳶
(たこ)が上がっていますが、江戸の正月の男の子の楽しみは紙鳶上げで、空を見上げて遊ぶのは体にもよいといわれていました。そのため元日は江戸中の店が休業している中で、商売をしているのは紙鳶商人だけだったといいます。
 日本橋は五街道(東海道・中山道・日光街道・奥州街道・甲州街道)の起点で、「お江戸日本橋七ツ(午前4時頃)立ち」といわれたように、朝早くから旅立つ人、到着する人で賑やかな所でした。
 また、日本橋周辺は江戸の商業の中心地で、大店
(おおだな)や老舗(しにせ)が軒を連ねていました。日本橋の北詰東側と江戸橋の間の日本橋川北岸には、本船町、本小田原町、長浜町などの魚河岸があり、江戸で最も活気のある魚市場でした。とくに正月2日の初荷は朝早くから壮観だったようで、「魚河岸の曙早き初荷かな」の句もあります。
 現在、日本橋室町2丁目に本社がある「にんべん」は、元禄12年(1699)に日本橋四日市で創業し、小舟町を経て享保5年(1720)に当時瀬戸物町だった現在の場所に店を出した鰹節問屋です。12代目当主高津家に伝わる「家内年中行事」で見ると、文化12年(1815)元旦の献立はおよそ次のようなものです。
雑煮(花鰹 餅 芋 菜)、屠蘇酒
鱠(大根 人参 ごまめ)、汁(干大根 鰹節入)、平(焼豆腐 人参 牛蒡 里芋 蛸)
鮭 鰤 塩鰹の類 ただし茶漬
 昼食は節(せち)とあり祝膳で、飯の記載は省略され、平(ひら)は煮物のことです。
 監修・著 松下幸子千葉大学名誉教授
>>松下教授プロフィール
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