|
上の錦絵は万延元年(1860)の版行で、この年には桜田門外の変があるなど、騒然とした世相でしたが、絵は三曲遊興の優雅な情景です。三曲は三種の楽器の合奏で、古くは三味線・琴・胡弓で、後には胡弓が尺八に変わったといいますが、この絵では胡弓があって三味線がありません。
室内には生花が飾られ、中央の丸行燈も火覆がガラスらしく透明で、燈火は油皿でなくろうそくが使われています。
|
|
|
|
豪華な調度類ですが、食べ物と思われる物は、中央の二つの足付折敷(おしき)に盛られた物だけです。小さい方の足付折敷には干菓子らしい物が盛られていますが、右側の足付折敷に沢山盛られているのは果物のように見えます。
しかし、国産砂糖が使われるようになった江戸後期から、金花糖(きんかとう)という名の、白砂糖を練って魚や果物などの型に入れて焼き、彩色した中空の砂糖菓子が流行したといいますから、果物に見えても金花糖かも知れません。
|
|
|
錦絵に見られる果物は、芝居小屋で観客が食べているミカンくらいですが、江戸時代には果樹園での果物生産も行われており、紀州ミカンはよく知られていますが、そのほかにも、ナシ・ブドウ・モモ・スモモ・ビワなどが栽培され、カキは農家の庭先や空地にも植えられていました。
この絵には火鉢がありますから季節は冬、果物ならばミカンの季節ですが、それらしい色が見えません。
|
|
錦絵は明和2年(1765)以後の、多色摺の浮世絵版画をさし、大量に版行されていますが、食べ物を扱ったものは少なく、この絵のように判断のつきかねる物がよくあります。
|
|
|