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絵には「二十四好今様美人」とありますが、「二十四好」は中国で古くから有名な孝子24人の「二十四孝」のもじりで、酒好きの美人がぐい飲みを手にしています。
左上の文字は「ひとにしやくられ こじれにじれて やけでのむさけ しやくのたね」と読めますから、自棄(やけ)酒のようです。徳利の傍には酒の肴の入った二重の丸い器や深鉢も見えます。
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酒飲みを上戸(じょうご)、飲めない人を下戸(げこ)というのは、奈良時代に1戸(1世帯)に20歳から60歳の成年男子が6、7人いる戸を上戸(じょうこ)とよび、それ以下の家族数の少ない戸を下戸といったのを、飲酒の多少になぞらえたものといいます。
江戸時代の文化・文政の頃は、町人生活の繁栄した時代で、下戸から見ると驚くような大酒の会の記録が、滝沢馬琴たち12人が共同編集した『兎園(とえん)小説』(1825成立)にあります。
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文化14年(1817)3月23日に両国柳橋万屋八郎兵衛方で行われた大酒大食の会の記録のうち、大酒は次のようなものです。
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一、 |
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3升入盃で3盃 |
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小田原町 |
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堺屋忠蔵 68歳 |
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一、 |
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同6盃半 |
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芝口 |
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鯉屋利兵衛 30歳 |
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一、 |
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5升入丼鉢にて1盃半 |
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小石川春日町 |
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天掘屋七右衛門 73歳 |
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一、 |
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5合入盃にて11盃 |
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本所石原町 |
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美濃屋儀兵衛 51歳 |
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一、 |
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3合入にて27盃 |
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金杉 |
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伊勢屋伝兵衛 47歳 |
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一、 |
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1升入にて4盃 |
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山の手 |
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藩中の人 63歳 |
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一、 |
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3升入にて3盃半 |
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明屋敷の者 |
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要点だけを紹介しましたが、利兵衛はその場で倒れて、休んでから水を茶碗に17盃飲んだとか、七右衛門はすぐに帰ったが、聖堂の土手に倒れて、翌朝の4時まで寝ていたなどと、飲んだあとの様子についても記しています。
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