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この絵には「膳部飲食の事」とあり、幼い頃から飲食のしつけをすることが大切であると説いています。
江戸時代には寺子屋が普及して、庶民の読み書きの能力は世界の最高水準にあったといわれており、寺子屋関係の史料は豊富です。家庭での子育てについての文献もいくつかありますが、幼児の食事のしつけに言及したものは、なかなか見つかりません。
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目原益軒の『和俗童子訓』(1710)には、年齢による教育内容をあげており、8歳の教育のなかに食事作法が次のように書かれています。「此ころよりたちいふるまひの礼、尊長の前に出て、つかふると退くと、尊長に対し、客に対し、物をいひ、いらへこたふる法、饌具(食膳)を尊長の前にすえ、また、取て退く法、盃を出し、銚子を取て酒をすすめ、肴を出す法、茶をすすむる礼をもならわしむべし。また、みづから食する法、尊長の賜わる盃と肴をいただき、客の盃をいただきのむ法、尊者に対し拝礼をなす法を教え知らしむべし。また茶礼をもおしゆべし。」
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8歳といっても満年齢ではなく数え年ですし、益軒の教えはかなり早教育と考えられ、飲酒の風習も現在とは違っていたようです。
また、上の絵の子供の髪型は芥子坊(けしぼう)とよばれる5、6歳までのものですが、まだ食べさせてもらっています。
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中央の膳は蝶足膳といい、『守貞謾稿』(1853)によると、この膳は京坂では正月に用い、平日に用いる者は稀で、江戸では平日の朝に用い、昼夕食には他の膳を用いる。蝶足膳の色は内側が朱で外側が黒、用いる諸椀は三都とも内朱外黒で、江戸では昼と夕食には茶碗を用いるとあります。朝食と昼夕食で、膳や椀を使い分けることは、一般に行われていたことなのでしょうか。 |
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