明治時代の歌舞伎座には、とうぜん椅子席はなく、桟敷席、土間席、立見席で構成されていました。 |
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その後、大正14年の新築時に、場内は椅子席となりましたが、従来の桟敷の名残として、東西に桟敷席を設けました。この桟敷席は「花道」の役者のよい背景となり、それ以降各地の劇場でもこの形が定番となりました。 |
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もちろんこの桟敷席は、昭和26年に現在の歌舞伎座が新築された時にも継承されましたが、当時は、座布団を敷いた4人席でした。その後、昭和57年には桟敷席の床板を改修し、「4人席」から「2人席」とし、また「堀ゴタツ式」に足が降ろせるようになりました。これは、4名1組でご来場される方が少なくなり、同時に楽に足を伸ばして座っていただけるように変更したものですが、当時は評判がたいへんよく、現在も人気の高い座席になっております。 |
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江戸の昔から、芝居見物をかねて、芝居小屋でお見合いなどがよく行われたようですが、歌舞伎座でもかつては、男女が東西の桟敷席に分かれて対面し、お見合いをすることがあったようで、このあたりは一昔前の粋を感じさせられます。 |
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なお、現在も1階桟敷席では、この席でしか味わえない桟敷弁当(幕乃内)やお茶のサービスが受けられ、昔ながらの芝居見物のぜいたくさを満喫することができます。 |
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注)「桟敷」の由来 |
古代祭祀において神招(お)ぎの場とされた「さずき」(仮床)が、平安時代には、貴族の祭り見物のために仮設される見物席の称に用いられ、さらに中世には、神事あるいは勧進の猿楽や勧進田楽などの興行に際して設置される高級な観客席の名称として定着したもの。 |
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