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多少のことでは驚かない東京っ子達をして空を仰がせた、当時の巨大建築である戦災前の歌舞伎座。今は無き中央の巨大な大屋根風の「破風」が威圧感を醸し出しています。

上写真は「歌舞伎座百年」より
裏側から見た歌舞伎座の千鳥破風。
夜間の長時間露光による特殊撮影。

 「歌舞伎座」は昭和20年の東京大空襲でその大部分が焼失、その後の復興工事を経て現在の姿に至ります。その改修工事によってもたされた風貌の相違点として第一に挙げられるのが、「破風」と呼ばれる屋根の切妻にある合掌形の装飾板の部分です。(※ 改修時に「破風」が3つから2つに減る)
  もともとは板張りや漆喰で内部を保護する構造的な目的で考えられた「破風」ですが、歴史的に振り返ると戦国時代の城づくりでは、独自にデザイン的な進化を遂げ、「切妻破風」・「反り破風」・「唐破風」・「千鳥破風」など、様々なバリエーションを競うことになりました。
 さらに江戸時代に入ると、地方によっては民家における破風飾りや破風そのものを禁 じたりしたようです。おそらく町民層の経済的な台頭を恐れた武士階級のメンツが込められていたのでしょう。
 大正時代の和風建築の傑作と賞賛される「旧歌舞伎座」、その生みの親、建築家の「岡田信一郎」。一方、戦後、和風建築のトップランナーとして建築界をリードし、戦後直後の混乱期に全精力を傾けて「歌舞伎座」の修復を手がけた「吉田五十八」。
 この二人の天才設計者の存在により、歌舞伎座の「破風」は引き継がれております。
写真と文章・アジャスト田中伸明
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