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今月の歌舞伎座2階席入口の様子です。
ちょっと見づらいかもしれませんが、5体の胸像が並んでいるのがお分かりになりますか?
それぞれ普段は別の場所にあったりして、こうして並んでいるのは意外にめずらしいことです。
写真手前から松竹創業者「大谷竹次郎」像。
続いて役者像が三体、「九代目市川團十郎」「五代目尾上菊五郎」「初代市川左團次」。いわゆる明治の名優「團菊左」。
そして一番奥には、やはり松竹創業者「白井松次郎」像。
これらの胸像のエピソードをご紹介しましょう。 |
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大谷竹次郎と白井松次郎、この兄弟の像の置台にはそれぞれ次の文言が彫られたプレートが。
「大谷竹次郎翁(白井松次郎翁)は松竹株式会社創立者にて我社が今日の隆盛を見たるは翁が努力によるところ大なり 茲に三十周年記念式典の挙行に当り我等一同此の像を作製し永く敬仰の念を止めむとするものなり 昭和二十六年五月十七日 松竹株式会社役員従業員一同」
とあるように、2体とも当時、松竹キネマ合名社創立から起算して30周年の記念に、役員従業員一同より贈られたもので、彫刻家朝倉文夫作の作品。
昭和26年といえば、この年の正月に現歌舞伎座が開場した年、それもあってか当時の大谷竹次郎社長はいたく感激されたそうです。
ただ白井松次郎翁は、残念ながら開場を見届けた直後の1月23日に既に他界された後でした。 |
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「大谷竹次郎」翁 |
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「白井松次郎」翁 |
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九代目團十郎と五代目菊五郎の胸像は、もともとは昭和11年の記念すべき第1回團菊祭の時に造られた、やはり朝倉文夫作品の復元品です。
このときの興行タイトルはズバリ「九世市川團十郎、五世尾上菊五郎胸像建設記念・團菊祭興行」。その後、オリジナル品は戦争中の昭和19年に供出されてしまいましたが、型が残っていたことから昭和53年5月の團菊祭で34年ぶりに復元されました。
團菊祭自体が、その前年に18年ぶりに復活されていて、当時の海老蔵、菊五郎らで除幕式が行われています。 |
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残る1体、初代市川左團次の像は、前述の「團菊」の胸像に続いて、翌年の昭和54年2月「四代目市川左團次襲名披露」興行の際に、やはり朝倉文夫作品の原型から再鋳されたもの。
こちらも襲名興行前に除幕式が行われました。 |
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ボリューム感のある胸像がズラリ並んだ様はまさしく壮観、興行界の先達や偉大な役者のまなざしが歌舞伎座の空間を眺めています。 |
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